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インタビュー#5 嘉村賢州さん

「上履きは左右反対に履く、制服のシャツは出ている。机の中もグチャグチャで、給食のときに残したパンが腐って出てくる」。小学生時代はいわゆる“出来ない子”だった嘉村賢州さん31歳。しかしそれでも阪神間の名門私立の中学・高校に通い京大にストレートで入学するのであるから、いわゆる“地頭”は良かったのだ。

卒業後は東京に本社を置くIT企業にすんなり就職。企画力もあり、コミュニケーション能力の高さから、先輩や上司から大いに期待を集める中、その日が来た。商品説明の原稿を覚え60分間のプレゼンを上司の前で披露すると言う今後の彼のキャリアを決める重要な日だ。さぁプレゼンが始まった。しかし、それは僅か3分で終わった。彼はそれ以上覚えることは出来ないのだ。上司は席を蹴るように立った。さらに先輩はそう言えばと話し始めた。「企画書はまとめられない。納期も守れない。上司の期待も裏切る。それは人間としてどうなの?ちゃんと親から躾けられたの?」。痛恨の一撃だった。結局彼はその会社を去ることになる。その後、診断を受けた。「多動性はないADHDだ」と。彼は言う「あぁ自分が悪かったのでも、親の躾が悪かった訳でもなかった。安心した。しかしいくら努力しても出来ないものは出来ないんだと悲しくもありました」と。

今、彼は街作りなどを行うNPOを自ら率いている。事業は順調だ。やはり似たような仲間が集まってくる。そして彼らを大いに活用する。「努力しても出来ない領域があるので、それをやらせてももったいないだけじゃないですか。出来ないものは認めてあげて、出来るところを発見してあげる。いい意味であきらめ、いいことだけ期待するのです」そしてさらにこう続けた。「発達凸凹が巧く噛み合う組織を作りたい!一人一人が活き活きと働けるモデルを作りたい。そんな場を日本中に作っていきたいのです」。そう言うと、彼の目は小学生の子どものように輝いた。