トップページ > インタビュー > インタビュー#1 石橋尋志さん

インタビュー#1 石橋尋志さん

「新しく出来た電話会社の営業で、最初の顧客を獲得したのは僕なんです」そう胸を張って話すのは、石橋尋志さん34歳。しかし・・・

「電話を繋ぐところまで全部を営業担当者がしなければならないんですよ。僕が担当したその会社は、電話機は入ったもののインターネットは繋がらない、FAXは繋がらない、そして電話そのものも。その会社は何日間も営業が出来なくなって。部長と取締役と一緒になって謝りに行きました。もちろん、その会社には居づらくなって2年半で辞めざるをえませんでしたね」

彼も発達障がいだ。26歳の時に「ADHD」と診断された。プロパンガスの会社で働いているときには、3年間で3度免停となった。それも不注意が原因の軽微な違反の積み重ねで。当然、そこも辞めざるをえなかった。

今の会社は5社目。個人宅を巡りお風呂やトイレのリフォームを行う工務店だ。石橋さんは営業兼現場監督として働いている。ここでは何とか4年が過ぎた。出来れば一生ここで働きたいと思う。石橋さんは言う。「ここでも、お客さんとのアポイントを忘れたり、遅刻をしたりと失敗はあります。ただ社長はこう言うてくれます。『できひんこともあるけど、出来ることもぎょうさんあるし。そう言う子も一人はおってもええやろ』と」

だからと言ってその言葉に甘えてばかりもいられない。石橋さんは「数字を上げてこそ」と日々営業に出掛ける。石橋さんはこうも言う。「発達障がいやからADHDやから、アスペルガーやからと言うことではなく、その人自身を見て欲しいのです。発達障がいやから、ではなく、この人はこれが出来て、これは出来ないと言うように一人一人にあった対応をして欲しい。それは発達障がいに限らないことでしょう」と。

この言葉は胸に刺さる。もっと我々は彼らの言葉に耳を傾けなければならないようだ。